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むすひ

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昔の人達は全ての存在が『むすひ(霊産)』の力で産みだされると考えていました。「むすひ」で産み出された私たちがひとつに繋がり素晴らしい地球にしていくことができたらいいですね

 

御器所八幡宮 

Posted on  2017/09/07 Thu. 18:59   
私はほぼ毎週どこかの社務所で宮司様かお坊様とお話しているのですが、毎週開催しているセミナーの中でも神々の導きがあるようで、約束とか予定しているわけではないのですが、セミナー参加者様と共に社務所で宮司様と話をすることが非常に多いです。先週は、熱田神宮でセミナーだったのですが、やはり、今回も同じく、社務所に入って下さい!との宮司様からのお言葉をいただき、数時間過ごすことになりました。


今日は熱田神宮と縁深い、鬼門方角を守る御器所(ごきそ)八幡宮を紹介したいと思います。

「御器所八幡宮は、御器所の総社として往古より信仰をあつめ仁明天皇勅願熱田神宮鬼門除鎮護の大神として御器所の聖地に斎鎮祭されたと言い伝えられ、尾張志に熱田神領にて神祭に用ふる土器を調達する故に此の名ありと伝ふ・・・」(由緒書きから抜粋)


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御祭神
八幡大大神・八釼大神・五男三女神・天児屋根命・天照大御神・弥豆波能女命・菊理媛命・木花咲耶命・山王大神・高蔵大神・熊野大神です。
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宮司様は、歴史が消えてしまわないように、民話として子供たちも読めるような形で残しておこうと思われ「御器所の民話ニ   御器所窯(ごきそがま)」を書かれました。


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御器所窯




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江戸時代、八幡様は村人達に「御土器所八幡大神社」と称えられ、郷(さと)の総鎮守様と崇められておりました。ある日のこと、お宮様の森に淡い紫の美しい煙が天高くたちこめており、村の衆は「おーい皆の衆、八幡さまの森から、それはそれはありがたい煙のようなものが漂っていたのを見たかい。」と大さわぎをしておりました。






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ある者は「天から神様が降りてこられたんじゃ。」と言いだし、そこで村の衆は確かめようと皆そろってお宮に行くことになりました。村の細い道をぬけると朱の鳥居が見え、その奥に見たことのない赤土の小山が造られ、何やら神主様がせわしげにしておられました。村長の宮木爺さまが、「禰宜さま、今何をなさっておられるのかのう。」






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「おお、この窯のことかのう。皆そろって見にきたのじゃな。」と嬉しそうに禰宜さまは窯のことを話しだしました。「この地は、焼き物に良い土なんじゃ。そもそも昔のことじゃがね。五世紀ごろ、御器所台地には八幡山古墳を中心に大小の古墳と、たくさんの窯跡が後世発見された古い遺跡群の所じゃ。」





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村の衆は、そんな大昔から人が住んでいたことにおどろきと親しみをもったようす。そこで禰宜さまが「御器所台地と言って、西には熱田台地があり その間に海が入り込んでおったようじゃ。舟からこの高台を見上げると、窯を造るに適した地形なんじゃ。下から上に穴を掘れば簡単な窯ができるじゃろ。たぶん、自然を利用した窯で土器を作ったんじゃろな。」







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「そこでじゃ、今年の八幡様のお祭りには昔のように新しい土器を作ってお供えしようとこの窯を造ったわけなんじゃ。」若者が「禰宜さま、どうして新しい土器でお供えしようとお思いになられたのですか。」禰宜さまは「そなたたちの家の神棚に『お初』と言って新しい物を供えるじゃろ。大昔、熱田様では、お祭りのたびに土器も新しいものでお供えをしたんじゃな。」







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「それにのう、平安時代にこの御器所は熱田様の神領であった。熱田様は草薙の剣をお祀りしておられるところから この地、御器所は叢雲(むらくも)の里といわれ、草薙の剣のことを天の叢雲の剣とも呼ばれていたようじゃ。そこで、ゆかりのあるこの地で土器を調進しておったわけじゃのう。『御器所(おんうつわどころ)』と尾張志(おわりし)という書物にもかかれておるぞ。」この話を聞いた徳爺さんは「皆の衆、このような誇れる風土を見習って禰宜さまのお手伝いをしては如何かのう。」







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「やるべえ、やるべえ、お祭りを盛大にするべえ。」さっそく村の衆はその準備にとりかかりました。薪(まき)もたくさん集められ窯の横に高く積まれ、土器は窯の中に整然と並べられ、あとは、窯開きを待つばかりになりました。何日か過ぎた吉日、古式にのっとり「初窯の火入式」禰宜さまはお窯をお祓いし、火打石で『カチカチ』と石を打ち合わせ神聖な火をおこしました。






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「これより『点火』。」と唱えると真っ赤な火が窯の薪に焚き付けられ、たちまち炎が土器を包みました。禰宜さまが、「今日から三日三晩薪をくべて下され。」村の衆は、交替で火の番をすることになりました。それはそれは大変でしたが、一生懸命頑張りました。やっとかめの窯出です。村の衆は出来栄えが気になっておちつかないようすです。







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禰宜さまが窯の土器をとり出し、「おお出来ばえは上々じゃ。」見守っていた村の衆は「やった やった バンザイ バンザイ。」と喊声(かんせい)が森中に響きました。やがて、暑い夏も過ぎ、爽やかな秋となり快晴の秋祭りとなりました。皆で作った土器には、新鮮なお供物が堆く(うずたか)く盛られ、和楽の奏(かなで)とともに御神前に恭(うやうや)しく立て奉られ、厳(おごそ)かな雰囲気に村の衆は、深々と頭を下げた平安を祈りました。







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祭典も無事にとりおこなわれ、禰宜さまが「皆の衆の協力をいただき、立派にお祭りをご奉仕することができました。神社は『かんながらの道』と言って古き良き伝統・風習・文化を後世に伝えることが使命であり、皆の衆によって受け継がれていくことが、祭りじゃあ。」とお礼の辞(ことば)が述べられました。






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村の衆も皆で力を合わせて作った土器がとりもったこのお祭りに感激し、来年はもっと盛大にするべえと約束されました。村の長(おさ)も、「こんでこの村も安泰じゃ。ほんに めでたし めでたし じゃのう。」と呟き、心から尊い八幡様のご加護を皆で感謝しました。





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熱田の神領であった御器所八幡宮のあたりは「叢雲(むらくも)の里」と言われています。
昔、兄のアマテルカミ尊の拠点は伊雜宮、弟の素佐之男尊の拠点は現在の名古屋市にある洲崎神社のあたりを中心に美濃・尾張と言われています。素佐之男尊は根尾川(岐阜県を流れる木曽川水系の川)の清流で清められ、三十七の神業をされて、その真西に聳える「金産山(かなぶやま)」の鉱石を笠縫邑(かさぬいむら)の精錬所にお運びになり、その鉱石から抽出された金で、伊勢の御神聖「民草和氣(くさなぎ)の御神氣(ごしんき)」を打ち込まれ鍛え上げになられたと言われています。その「剣」は、「御難賛助(ごなんさんじょ)の御誓約(うけひ)の証(あかし)の剣」です。「アマテルカミ尊」が尾張族の地にお出になられた時、素佐之男尊がこの「剣」を献上されたそうです。アマテルカミ尊は大変喜ばれ、そこの精錬所から黙々と天に昇りゆく叢雲(むらくも)の如き出雲(いずも)に因(ちな)み「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と銘名になりました。そして、その剣を伊勢の神の御神聖「民草和氣(くさなぎ)の御神氣を顕在する剣」として、伊勢神宮に御奉斎になりました。これが現在天皇家が継承する「民草和氣の剣」だそうです。
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