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むすひ

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昔の人達は全ての存在が『むすひ(霊産)』の力で産みだされると考えていました。「むすひ」で産み出された私たちがひとつに繋がり素晴らしい地球にしていくことができたらいいですね

 

厳島神社参拝セミナー (兵庫県・岡山県・広島県・愛媛県・香川県・徳島県) 平成29年9月1日(金)~4日(月) 

Posted on  2017/06/13 Tue. 13:42   
日時 
 Aコース・・・平成29年9月1日(金)~4日(月) 
 Bコース・・・平成29年9月2日(土)~3日(日)



集合地と集合時間  
Aコース・・・9月1日(金)トランブレーみゆき宅  午前2時集合 (みゆき宅に前泊・後泊可。宿泊費不要。) 
Bコース・・・9月2(土) 14時  宮島 鳥居前集合(海の中にある鳥居ではありません)




定員  
Aコース・・・4名   
Bコース・・・5名
(Aコース・Bコース共に締め切らせていただきます。ありがとうございます。)
             



参拝ルート 
Aコース

9月1日(金)
清荒神清澄寺(兵庫県)➡廣田神社(兵庫県)➡芦屋神社(兵庫県)➡六甲山  白山の宮(兵庫県)➡六甲比命神社(兵庫県)➡サムハラ神社 奥の宮(岡山県)➡石上布都魂神社(岡山県)➡たけべ八幡温泉泊(岡山県)


9月2日(土)
吉備津彦神社(岡山県)➡うら神社(岡山県)➡吉備津神社(岡山県)➡備中国総社宮(岡山県)➡平和記念公園   原爆ドーム・慰霊碑・広島平和記念資料館(広島県)➡宮島行きフェリー乗り場➡JRフェリーで宮島へ➡厳島神社(広島県)➡島内自由散策➡フォレストビラ水羽チェックイン➡夜はみんなで楽しくお話会\(^o^)/

9月3日(日)
午前中 宮島 弥山登山・参拝(広島県)➡大山積神社(愛媛県)➡石鎚神社(愛媛県)➡たからだの里 湯の谷荘(香川県)


9月4日(月)
金刀比羅宮(香川県)➡善通寺  弘法大師御誕生所(香川県)➡白人神社(徳島県)➡五社三門   磐境神明神社(徳島県)➡大麻比古神社(徳島県)➡諭鶴羽神社(兵庫県)➡自凝島(おのころじま)神社(兵庫県)➡伊弉諾神宮(兵庫県)➡石屋神社(兵庫県)




Bコース

9月2日(土)
厳島神社参拝➡島内自由散策➡フォレストビラ水羽チェックイン➡夜はみんなで楽しくお話会(^^♪

9月3日(日)
午前中 宮島 弥山登山・参拝➡正午解散








清荒神清澄寺
日ノ本の国に、太古よりお祀りしてきた「伊勢生成(いせいいなり)の神」が神武東征により消されてゆき、ついに伊勢の内宮までが放置されてしまった為、丹生家の意志(こころ)ある人々により、生命生産(うみだ)しの御神理氣を秘かに三津に分散させてお祀りしました。息津(おきつ)「日輪太陽津(かい)神」を高野山の奥に「立里荒神(たてりこうじん)」として、湍津(たぎつ)「宇宙産迂迦神(うちゅううがしん)」の丹生津の神を大神(おおみわ)の裏に「笠山荒神(かさやまこうじん)」としてお祀りされ、更に邊津(へつ)「産土之地球神(うぶすなのちきゅうしん)」を宝塚の中山に「清荒神(きよしこうじん)」としてお祀りし、「三宝荒神」とお呼びし、太古よりの神をお守りしてきました。





五社三門   磐境神明神社

天界より、生命の「聖地」である地球の嶋国・日ノ本の與謝津(かい)に、最初に植物の元生産親神(もとうみおやがみ)が御降臨・御降誕され地上を生成繁茂向上になり、次に動物の元生産親神が御降臨・御降誕、最後に人祖「初代」與謝身伊邪那岐尊と「初代」伊邪那身命が御降臨・御降誕。生命生産出(うみだ)しの神の総監である「天照皇大御神」を始めとする、生命生産出しの絶対五神の神理氣と、植物・動物の元生産親神を合祀され、八和幡之大神(やわたのおおかみ)とお呼びし祭祀されました。大丹生家(人祖家・天皇家)が、最初に神祀りをなさいました御姿であり、これをそのまま今日まで伝え残して居る神社が磐境神明神社です。五社三門の石積みの枠内は天界を示し、植物・動物・人間のホシ(遺伝子)が御降臨した天之意和戸(いわど)の姿を示しているそうです。
この神祀りは、人祖より「伊邪那岐家」1500代続き、その最後の嫡子「初代與謝身天照天皇」からは、人祖のお二方を八和幡之大神に加え九氣九神とし、その後七代目の「饒速日天皇」までの間、「生命生産出しの神」の「九氣九神・伊勢(いせい=雄蕊・雌蕊、雄・雌、男・女)生成(いなり=生命を産み出す)の神」をお祀りし、決して争わない・戦わない神の意の元に、和をもって政が行われ平和な世であったようです。






諭鶴羽神社
諭鶴羽修験道由緒 
①五大修験  「西天竺の霊神が第十代崇神天皇の御代に五つの剣を東に向かって投げられ『我が縁のある地に留まれ』と誓いたもうた。 
一は、紀伊国、熊野三山に
一は、下野国、日光山に
一は、出羽国、羽黒山に
一は、豊前国、彦山に
一は、淡路国、諭鶴羽山に
留まったと伝えられています。

②元熊野
熊野権現御垂迹縁起によると甲寅の年、唐の天台山の霊神が九州筑紫国、英彦山の峰にご降臨され、戌午の年、伊予国、石鎚の峰に渡られ、甲子の年、淡路国、諭鶴羽の峰に渡られた、後、庚午の年、熊野新宮、神蔵の峰に渡られた・・・と伝えられています。







六甲山  白山之宮
六甲山石宝殿の正面には「白山大権現」の額が掲げてあり、その奥の石祠が安置されています。左横に、六社大神・権大神・一水神大神・白山大神(大正三年)の石祠があります。ここを訪れる方々は多いのですが、そのまた奥にも沢山の神々が祀られていることには気づきにくいです。波動でキャッチされる方々は、石祠が見えなくてもわかっているのでしょうが。禁足地となっているのですが、神々の導きがありまして宮司様御夫妻により中に入らせていただきましたので、ここで皆さまにも知っていただけたらと思います。白山水天宮(水の神)・白菊姫の神・六甲稲荷権現・六甲山頂大権現・御嶽山大権現・六甲山石宝殿 白山之宮祭神・白山妙理大権現・八大龍王大神・龍王姫大権現・他多数の神々が祀られていらっしゃいます。祠は見えなくても、この六甲の地を沢山の神々が守ってくださっているので、意識を山・町全体に拡げ感謝の想いで祈っていただけたらと思います。









六甲について
六甲という名の解釈はいろいろありますが、六甲を元として六十干支を数えると、甲子(きのえね)から始まって癸亥(みずのとい)に至る六十進法の中に、甲子、甲戌、甲甲、甲午、甲辰、甲寅の六つの六甲が六十干支を代表して際限なく繰り返しながら、この地球・全ての命を見守り育んでいます。「六甲」という名がついているということは、六甲山では、過去・現在・未来という時の流れやエネルギーも神として、感謝の想いを祭祀として行ってきたのかもしれませんね。、六甲山麓にある農村部の古老が伝えていることのひとつに、一年に六回、甲子の日に、六甲山から湧き出る御神水を飲むものは必ず延命長寿するという伝承があります。

神功皇后が六甲山系に六つの甲を埋めたという説もあります。
「神功皇后」は神武権力が伊勢の神(八和幡之大神)をつぶし、「神武天皇」に都合の良い神祀りをしていることはご存知でした。皇后が、「仲哀(ちゅうあい)天皇」(第十四代)と共に三韓征伐に向かわれる道中、九州の地で御子をお宿しになり、新羅へ渡る船の中でその事にお氣付きになりました。今まで男性的で勢いのおありであった皇后が、一転して母性本能をお見せになり、この戦争は出来るだけ穏便に済ませようと相手方と相談され、和が成立してお帰りになりました。
この御子の命は、天皇と最後の和みをなさいました時に授かり、(帝はそのままお亡くなりになりました)我が君の残して下さいました宝であり生命をお与え下さいました「八和幡之大神(やわたのおおかみ)」のお陰と、九州の宇佐の地に八幡宮を御造営になり感謝の祈念をなさいました。今までの荒々しいご自身の言動があまりにも恥ずかしく、都へのお帰りの途中、甲山(かぶとやま)にご自身の甲冑(かっちゅう)や剣など埋け(い)けておしまいになりました。そして浪速(なにわ)に、「住吉大社」を伊勢の内宮に向けてお建てになり、生命を宿して下さる男神への感謝をなさいました。

こうして「八和幡之大神」を潰して来ました。「神武天皇」から十四代目の天皇の代で、やっとこの神を復興されましたが、またもや権力者がこの御神理氣を消してしまい「仲哀(ちゅうあい)天皇は九州でお隠れになっても、皇后には御子が授かった。これは正(まさ)しく神の化身である。」と言って誉田別尊(ほんだわけのみこと)<応神天皇>を神であるとし、その後、八幡神社には誉田別尊が神とてお祀りされました。


過去・現在・未来に繰り返されるこの「六甲」という時の流れ。過去生かしていただいたこと、今というこの瞬間を生かされていること、そしてこれからも生かしていただくという「時の神」に、そして「八和幡之大神」に、この六甲山で感謝の祈りを捧げるものいいかと思います。








白人神社
五社三門の下に建てられています。
北伊勢国の大安町石槫にあった大和族の三八子(みやこ)を徹底的に攻撃したことがあったようです。丹生家の人々は「大丹生天皇(おにゅすめらぎ)」を逃すために人垣を造りましたが、多くの方が討たれ、やっとの思いで天皇をお守りし、四国へ逃れました。一部の方々は出雲に逃れたようです。今も員弁(いなべ)には、その時無念の死を遂げた人々を葬った麻績塚(おみづか)が遺されています。四国へ逃れた方々は員弁を忌部(いんべ)と名前を替えて、白人(隠れ人)となり落人となられ、山の上に隠れ住みました。一方、松江に逃れた方々は、伊勢生成(いせいいなり)の神祀りをしていた為、神武派に見つかり、神殿は焼き払われ重刑に処せられてしまいました。
現在、四国の徳島県美馬郡穴吹町に「白人神社」がありますが、この辺りに七十五名の「丹生家」の方々がお住まいになり、他の方々は、麻を織る技術を持っておられ、麻植郡にお移りになり「大丹生家」の伝統を守り続けていらっしゃるそうです。この神社の秋祭りには、この「七十五名の宮人」の方々でなければお神輿は担げないそうでうです。又、お正月に行われます「御的(おまと)」という行事には、竹を割って的を作り、中央に鬼と書いて七十五本の矢を射るそうですが、「鬼」とは「大丹生家」を表わし、我らこそ正統天皇(すめらぎ)家の血筋であると、年の初めに改めて皆に知らせていたのかもしれません。









厳島神社( 以前書いていたブログ  2011年3月9日の記事から)


社殿を中心とする厳島神社と、前面の海、背後の弥山原始林の森林を含む区域が世界遺産と登録されたのは1996年のこと。ユネスコ協会が発行している冊子 「ユネスコ」2011年 1月号にこの厳島神社の記事が掲載されていたので この情報を皆さまとシェアしたく ここで御紹介したいと思います(ユネスコ協会の許可は得ています)厳島神社の禰宜を務める福田道憲さんに、生まれ育ったふるさと宮島と厳島神社への想いを伺うという形で書かれています(ライター 永山多恵子)
『自然とともにある建造物厳島神社の起こりは推古元年(593)だが、平安時代後期の1168年に、平清盛によって現在のような海上社殿が造営された。極楽浄土を模したといわれ、神殿造りの社殿にはさまざまな工夫が施されている。
宮島周辺では干満の差が4mほどあるのに、床の高さが3.8mしかないのは、その顕著な例だ。潮が引けば大鳥居まで歩いていけるが、潮が満ちると、社殿や回廊はあたかも海に浮かんでいるように見える。瀬戸内海を池に見立てたこのダイナミックな発想は、自然美と人工美を見事に融合させた。一方で、日々の潮による劣化はもちろんのこと、雨風による被害も後を絶たない。平成に入ってからでも、大きな台風に3回も見舞われた。
「自然が相手だから、頑丈に構えておったら壊れます。ここは、自然をやわらかく受け入れるようにできているんです。回廊の床は、海水の圧力を逃すために、すき間を空けてありますし、風や波が抜けるよう側壁もほとんどありません。神殿造りの庭に当たる平舞台(ひらぶたい)という場所は、ご本殿にまで波がいかないよう、波の力を弱めるいかだの構造を利用したといわれています。また、社殿は左右対称でなく、回廊の長さや角度がすべて違うんです。」
左右非対称にして形をいびつにすることによって、一方から強い風雨を受けても、ほかで支えられるのだという。柱が丸いのも、風や波の抵抗を逃すためだ。すべてが、自然とともにあることを念頭に置いた、先人の知恵の結実といえる』

ゴールのない駅伝ランナー

自然との調和を求めた設計を、900年もの長きにわたって支えてきたのは、こまやかな管理と修理にほかならない。とくに回廊を支える柱は海水に浸かるため、根元部分をひんぱんにすげ替えている。神社の象徴である海中の大鳥居も、現在は8代目だ。明治8年(1875)に建て替えた後、水に浸かる部分のみ昭和26年(1951)に取り替えたが、そろそろ主柱をまるごと建て替える時期にきているという。
「高さ16m、周囲10mもある主柱をつくるためには、樹齢500~600年のクスノキが必要となってきます。そんな巨木は、日本中探してもなかなか見つけることができません。」それならばと、宮島千年委員会という地元有志の組織が、島のクスノキの種から育てた実生の苗を植樹した。宮島ユネスコ協会も参加して、2003年から数回に分け、国有林の一角に約200本の苗を植えた。これから先、枯れたり、大きく育たなかったり、曲がったりする木は何本もあるだろう。その中で、、幸運にも陽光に恵まれ、まっすぐ育つクスノキがあったとしても、大鳥居の柱にするには少なくとも500年はかかる。
「宮島は内海で暖かいので、島にもクスノキはいっぱい生えています。けれど、鳥居に使えるような大木は、たいてい天然記念物となっており、伐ることができません。だから、、植樹をした。現在の鳥居の建て替えには、とうてい間に合いませんが、いつかは島の木で鳥居をつくりたいという思いは、皆同じなです。」(抜粋終了)

左右非対称にしていびつな形で造られているとは知りませんでした。自然との調和・・・本当に大切なことだと思います。
人々との調和もとても大切ですね。自分はたくさんの神々 そしてたくさんの人々との出逢いの中で この「調和」ということを学ぶ機会をたくさんいただいていますが、改めてそのことに感謝したいと思います。いろんな人がいるからいろんな意見・考えがあって当たり前ですよね。厳島神社の拝殿のように、自分も自然とともにあれるように そして 人々とも調和の元で生きられるように努力していきたいと思います。そして・・・この遺産みんなで大切に守っていきたいですね。






9月1日(金) Aコースの方の泊まる宿    たけべ八幡温泉  素泊まり   和室




9月2日(土)Aコース・Bコースの方の泊まる宿   フォレストヴィラ水羽


和室8畳+6畳+6畳 の一棟貸しです。


夕食は宿からすぐお近くの ZIZOにて5800円のコースでイタリアンのお食事をいただきます。お魚かお肉を選んでいただきますので、参加申込の際にどちらをご希望かお知らせください。翌朝は皆で一緒に🍙おにぎりを作っていただきます。(炊飯器は宿にあります)


宿にはお風呂もついていますが、時間に余裕のある方は集合時間前に温泉に寄るのもいいと思います。
宮島錦水館の潮湯温泉



おやつ?夜食?お酒?(⇦程よ良い飲み方でお願いしますm(__)m) など必要な方はご持参を(^^♪





弥山登山について
今回はロープウェイを使わず、登りは大元公園から登る大元コース、下りは大聖院コースを歩きます。休憩無しで2時間半のコースですが、倍ぐらいの時間をかけてゆ~~っくり歩きます。歩きやすい靴でいらして下さい。




登山時に必要ない荷物は宿で預かって下さいますので、登山時に必要な飲み物(それぞれで準備お願い致します。)と必要な物を入れる為のリュックなどをご用意ください。





宮島へのフェリーについて
フェリー乗り場には松大汽船とJRフェリーの2つの乗り場があります。
料金はどちらも180円(往復360円)で所要時間も約10分。ルートに関しては少し異なります。
JRフェリーは大鳥居に接近する航路で運航しますので、初めての方とか写真を撮りたいという希望のある方はこちらをおススメします。進行方向に向かって右側に見えますので、右側の席にいるといいですよ。松大汽船は、直進コースでフェリーが運航するので、宮島へは少しだけ早く到着します。行きはJR,、帰りは松大汽船というのもいいかも。





9月3日(日)  Aコースの方の泊まる宿   たからだの里 湯の谷荘  素泊まり  和室






Aコースの方・・・全ての日程が終了するのは、北淡路島 18時半ぐらいの予定です。東日本から参加で、愛知県岡崎市みゆき宅で一泊してからご帰宅希望の方は一緒に愛知県まで。(次の日最寄り駅までお送りします)その日にご帰宅希望の方は、愛知県に向かう途中であればご希望の駅で降ろす事可能です。まだどのルートで帰宅するかは決まっていません。参加者さまのご要望に従って帰宅ルート変更可能です。






参加費   Aコース・・・50000円 (参加費に含まれるもの ➡ 3日分の宿泊代・2日目の夕食代・広島平和記念資料館観覧料・ 3日目の朝食(おにぎり)・宮島へのフェリー代(往復)・宮島への入場料(初穂料)・全行程の交通費・セミナー代)

 Bコース・・・15000円 (参加費に含まれるもの➡9月2日(日)の宿泊代・夕食代・翌朝のおにぎり・宮島への入場料(初穂料)・セミナー代)






お申込されてからのキャンセルについて
数日前からは半額、当日は全額のお支払いをお願い致します。








縁ある参加者様と一緒に時間を過ごすことができること、心から楽しみにしています(^^)




お申し込み   トランブレーみゆきまでお願いします。

powerful_tremblay☆yahoo.co.jp
(☆を@に変えてください)





広島 030





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