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むすひ

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昔の人達は全ての存在が『むすひ(霊産)』の力で産みだされると考えていました。「むすひ」で産み出された私たちがひとつに繋がり素晴らしい地球にしていくことができたらいいですね

 

言は事であり命である 

Posted on  2012/03/31 Sat. 01:27   
知り合いのライターさんから「えびす様についてお話しを聞かせていただけないでしょうか?」とお願いメッセージを昨日いただいたのですが、「えびす様」を感じて最初に浮かんだことは、「事代主神」「言事即融(げんじそくゆう)の観念」でした。
そして「事あれば言有り、言あれば事有り」ということ。
言霊は命でありエネルギーであり、物事を動かすということは日々感じていることです。
自分が発した言葉はエネルギーとなり相手に届き、良くも悪くも事を起こします。
配慮・思いやり足らず悪いことを引き起こしたこともありますし、逆に自分の発した言葉で自殺を思いとどまってくれたとか、数年学校に行けなかった子供に数時間話しただけで 次の日から学校に戻って行ったこともあります。言=事と感じています。



以下☆言霊玄修秘伝から抜粋☆



『日本は神代より言霊が働き助ける国であるから、願いを言葉にすれば、それが成就すると考えた。
つまり、言語に単なる記号を超えた霊的な作用を感得し、それを言霊と呼んだのである。
柿本人麿の歌で、言霊が事霊と表記されていることは重要である。古代においては、言と事との区別が薄く、言はそのまま事であり、言葉を発すれば必ず実現すると信じられていた。これを言事即融(げんじそくゆう)の観念と云う。古代の言語観念は、必ずしも現在の我々の言葉に対するそれと同じでなかった。古代では、言は事であり神であり、言葉は、言葉を発するものの息、或いは天地の間を繋ぐ風、森羅万象の音、響きと密接な繋がりを持ち、これら総てがほとんど一体化していた。従って、言葉は我々の意思や協定を超越し、それ自体が確固たる存在と考えられ、事実そのように作用した。言葉は我々が統御しうる存在ではなく、逆に言葉によってわれわれが統御されたのである。言葉を使って我々が考えるのではなく、むしろその時我々を使って言葉が天地の間を自在に活動していたのである。神典においては、神祗至尊(じんぎしそん)の存在に対し、「尊」「命」という語を添えて「ミコト」と読ませている。即ち「ミ」は美称であり、「コト」は「言」である。このことからも、神が言葉そのものであることは明瞭である。
古代日本人の心性においては神は言葉であり、事実そのものなのである。つまり、一切のものは神即ち言葉によって展開したのである。「古事記」にある、「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」の「なりませる」とは、その時にそこに生じたという意味を持つだけではない。言霊学的には「鳴りませる」であり、天之御中主神とは天之御名霊主神であり、まさに大宇宙に鳴り響く言霊の神そのものを天之御中主神とは申し上げるのである。
また「主」という語は、そのまま言霊の75声を統(す)べる音「ス」を微言(びげん)するもので、万籟(ばんらい)を一つに統合帰一する音である。
一切のものは言葉から生じた。この言葉、即ち神こそが、森羅万象を生成化育なさしめ、宇宙の万物を生じせしめた根源なのである。
印度(インド)の「リグ・ヴェーダ」では「造一切主」は言語の主であり、言葉の力そのものと考えられている。「梵」は風であり、息であり、音であり、命である。言葉はそれらのものと未分化の状態にあり、全大宇宙を創造し、且つ破壊する驚くべき力を持つ。
この驚くべき力を持つ言葉こそ「真の言葉」即ち「真言」であり、顕幽両界のあらゆる存在を支配し、それに力を与え、命を与えているのである。この思想が仏教と習合した形で伝えられた教えこそ、真言密教に他ならぬ。かような生きた実在としての言葉は、「新約聖書」では「プネウマ」によって発現せられるとされる。ギリシャ語「プネウマ」とは「霊」であり「息」であり、「風」である。ギリシャ語のプネウマに限らず多くの古代語において、息(呼吸)は同時に霊を意味する。言語、呼吸、霊とは密接に関連するものであるという直感を古代
人は抱いておったのである。
大和言葉は、春夏秋冬、四季の移り変わりのあること今も昔も変わりなきが如く、一定不変の自然法則、宇宙の理と古代人の純粋なる心性が感応し、発現したものである。その言語も、言語法則も自然の玄理に符号せるもので、一音毎に神格あり、神性具備し、言葉となって現れるや不変の道の表象となる。
言葉即生命であり、真理である』



2年程前、奈良県の鴨都波神社からお呼びがかかり それから毎月のように通っているのですが、そこで事代主神(えびす様)を感じています。
ブログでも言葉を発し、お話しする時間も多い私は事代主神さまが『言=事=命!』とメッセージ送りながら
厳しく見守っていて下さる気がします。
今日は朝からずっと「事代主神、えびす様、言事即融の観念・・・」と頭の中をクルクル。
高速道路を運転していた時ハッとして笑っちゃいました。前を走るトラックにど~~~~んと大きくカラフルに「えびす様」の絵が 描かれていたのです。その瞬間、今日の日記の内容が決まりました(笑)

2012_3_31

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