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むすひ

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昔の人達は全ての存在が『むすひ(霊産)』の力で産みだされると考えていました。「むすひ」で産み出された私たちがひとつに繋がり素晴らしい地球にしていくことができたらいいですね

 

(JAA)一般社団法人日本伝統芸術国際交流協会 日本伝統文化コーディネーター 黒田隆雄氏の言葉  その1 

Posted on  2013/12/05 Thu. 19:10   
昨日は、岡崎市美術博物館に行ってきました。テーマは『祈☆PRAY~古今東西祈りの風景』です。祈りや願いが込められた数多くの文化財から歴史・祈り・信仰・神仏・古の心などについて考え・感じさせられ、感動し涙こぼれ貴重な時間を過ごすことができました。どの文化財も素晴らしいものだったのですが、私が特に感動したのは、一枚の瓦のかけら。たぶん、この瓦のかけらを観て感動涙する者は数少ないと思うのですが、私には感動し過ぎでその場を離れる事ができなかったのです。何の説明も書かれていないただの瓦です。ただ『複弁八葉蓮花文軒丸瓦(ふくべんはちようれんげもんのきまるかわら)』と記されているだけです。西三河最古の北野廃寺から発掘されたもののようなのですが、シンプルに花弁が八葉デザインされているだけなのですが、それを観た瞬間、光に視えました。『中心に大日如来・東西南北に宝幢(ほうどう)如来・開敷華王(かいふけおう)如来・無量寿(むりょうじゅ)如来・天鼓雷音(てんくらいおん)如来・如来の間にそれぞれ、弥勒菩薩・普賢菩薩・観音菩薩・文殊菩薩たちが視えて、宇宙曼荼羅、仏の愛が滲み出てきて感動で動けなくなったのです。神仏の世界を小さな瓦の一部にデザインして表現する、その中に昔の方々の祈りの姿を読み取ることができました。『この瓦のかけらに、宇宙が視える?』と母に聞いたのですが、キョトン(・・)感じたことを母に(一緒にいきました)説明したら、母も感動。小さな瓦の前で二人で感動しまくり興奮状態。そして、あれこれ観て回っていたら、大きな曼荼羅が! 密教の胎蔵界曼荼羅が描かれたものが掛けられていました。『これよこれ! この真ん中を見て! ここにさっき話した如来と菩薩様が描かれているでしょ!宇宙の姿・神仏の愛を描いたものだよ! この仏たちが、あの瓦に入ってたのわかる!? あの花弁がそうなんだよ。重なって視える!?』と母に言ったら『あ~そういうことなんだね。すごいね!』小さな瓦の一部に宇宙や神仏をデザインし、祈りを込める・・・わかってもらえたようです。あの瓦を観るだけで行った甲斐があり満足でした(^^)曼荼羅を見たり密教の世界のことを考えるだけで幸せな気分になります。とっても幸せな一日でした(^^)

あっ、12月22日に行う勉強会に来てくださる民俗学研究者である黒田隆雄氏が書かれた文章を載せます(角川書店から出版されてる本から抜粋)

『奥三河の花祭と天竜水系の周辺の民俗芸能』
☆奥三河の民族芸能
奥三河の民俗芸能に関心を持ったのは昭和62年(1987)年11月、愛知県新城(しんしろ)市の市民文化講座で三隅治雄先生の講演を聞いたことがきっかけだった。新城市を玄関先とする「奥三河地域は、日本の民俗芸能の宝庫である」「奥三河の地は、民俗芸能研究のゆりかごの地であると言える」という三隅先生のお話は、新鮮であり驚きであった。講演の中で、柳田國男、折口信夫そして同じ新城市出身の民俗芸能研究者早川孝太郎らが果たした、日本芸能史における奥三河の民俗芸能の位置付けを知った。新城市地芝居が盛んであり、早川孝太郎も「地狂言雑記」を書いている。平成9(1997)年に「第八回全国地芝居サミット・イン・しんしろ」が全国郷土芸能協会と共催して新城市で開催され、そのとき民俗写真家の芳賀日出男先生を知った。芳賀先生の写真集『花祭』は大きな感動と刺激だった。以来、早川孝太郎の『花祭』と芳賀先生の『花祭』を片手に奥三河の芸能の調査を始めた。愛知県北東部に位置する奥三河は、新城市、設楽(したら)町、東栄町、豊根村からなり、ほとんど山林が占めている。山・森・樹木・花・川・水・・・、人々は様々な自然に畏敬の念を持ちながら暮らしてきた。四季それぞれに美しい変化をみせる自然は、住民に豊かな恩恵をもたらす。この風土の中で、独自の文化・芸能が育まれた。奥三河の民俗芸能を調査し、日本の芸能史を確立したのが、折口信夫である。大正(1921)年、折口は柳田國男から沖縄の話を聞いて彼の地へ旅し、大正15年(1926)年早川孝太郎と新野(にいの)(長野県)の雪祭と三沢(愛知県)の花祭を見た。この瞬間、沖縄と奥三河の芸能から、日本芸能史を確立する論説が閃いたという。同行した早川孝太郎は、柳田國男、渋沢敬三の指導、援助で名著『花祭』を刊行し、花祭のみならず奥三河の芸能も紹介して東京の学者や文化人を驚愕させた。以降、折口は奥三河を中心に民俗芸能の調査に入った。その著作は難解で知られるが、芳賀先生が近著『折口信夫と古代をゆく』で折口の学説を写真で紹介してくれたおかげで、折口の学説がようやく私にも理解できたような気がする。

☆花祭
花祭は早川孝太郎が『花祭』で紹介して以来、民俗芸能研究家の登竜門である。柳田國男は、同書を「学界を驚倒せしむる1600頁の大著は出現し、苟(いやしく)も民間芸術を談ずるの士は、之を知らなければ恥」とまで評価した。花祭の期限は鎌倉から室町に遡(さかのぼ)る。もたらしたのは、修験道の行者らしいが、天竜水系の各地で神事として継承され、昭和51(1976)年、国の重要無形民族文化財第一号に指定。毎年11月から3月にかけ、東栄町、設楽町、豊根村の15ヶ所で行われている。東栄町の花祭会場は11ヶ所で小林、御園、東薗目(ひがしそのめ)、月、足込、河内、中設楽、中在家(なかんぜき)、古戸(ふっと)、下粟代(しもあわしろ)、布川(ふかわ)。豊根村は、坂宇場(さかうば)、上黒川(かみくろがわ)、下黒川(しもくろがわ)の3ヶ所で行われ、設楽町は下津具(しもつぐ)地区の1ヶ所である。東栄町と山を隔てた佐久間町でも2ヶ所の花祭(花の舞)が継承されている。川合花の舞と、今田花の舞である。いずれの花祭も夜を徹して行われ、大きな釜で湯を沸かし、その上に吊した神々の拠り所の「びゃっけ」を中心に様々な舞いが終夜繰り広げられる。また、東栄町古戸では、白山でお玉の舞いを舞ってから各地の花祭が始まる白山祭がある。花祭の構成は、神勧請・舞・神返しからなる。丁寧に神々を勧請しお湯を献じ、翌朝まで様々な舞を奉納する。そして朝日とともに神々にお帰りいただく。悪霊を祓い除け、無病息災、五穀豊穣と村の繁栄を願う祭である。地区によっては40を越す次第(儀式)もある複雑な神事だが、花太夫(はなだゆう)宮人(みょうど)らが唱える祭文(さいもん)や九字、真言、般若心経、各種祝詞、六根清浄、切る目・見る目勧請、五方の舞、反閇(へんばい)から、神道、密教、陰陽道、道教、山岳宗教などが複雑に絡み合った修験道の精神を強く感じる。早川孝太郎は『花祭』に多くの祭文を収めた。大土公神(だいどくじん)祭文、花のほんげん祭文、牛頭天王(ごずてんのう)島渡りなど、現在の花祭で唱えられないものも多く、貴重である。祭文からは花祭の源流が垣間見える。悲しいことだが、豊根村三沢内山内の花祭が平成19(2007)年を最後に休止した。折口や早川をはじめ多くの研究者を魅了してきた山内の花祭がもう見られなくなったのだ。まったく残念でならない。祭りの当事者でない私が言うのは勝手な言いぐさかもしれないが、もうこれ以上、花祭を失ってはならないと願う。終了したら、そこまで連綿と育んできた文化が途絶えてしまうのだから。郷土の文化、伝統芸能の保存という面からも、花祭を担っている方々には頑張っていただきたいと思っている。


つづく

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