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昔の人達は全ての存在が『むすひ(霊産)』の力で産みだされると考えていました。「むすひ」で産み出された私たちがひとつに繋がり素晴らしい地球にしていくことができたらいいですね

 

4月14日~の旅  その1(高野山 慈尊院) 

Posted on  2013/04/23 Tue. 09:29   
4月14日から高野山へ。今回は、空海にお任せで動くつもりだったので、1日になるのか?2日間になるのか?3日間になるのか?それとも4日間になるのか?さっぱりわからずで出かけました。いつものように奈良県天理ICで降りて高野山へ向かうつもりでいたのですが、天理ICの所で「キャ~~~降りれな~~~い(◎_◎)。と大慌て。「まただ(-_-;)どこかに引っ張られてる」仕方ないのでそのまま流れに任せて運転。、 郡山ICも通り過ぎてしまい、降りれたのは法隆寺ICでした。まぁ いいっか~と深く考えずにいつもと全然違う道を通って高野山に向かっていました。数十分たってその理由がわかりました。私がいつも行く御縁深き神社の目の前まで引っ張られてしまいました。いつもとは違う道で、裏道から来たので目の前に来るまで気づきませんでした。そこは、奈良県に行く時はほぼ毎回寄るぐらい縁があり好きな神社なのです(鴨都波神社)高野山に行くときは、天理ICで降りると、そこの神社からは離れてしまって目の前は通らないし、今回は寄るつもりがなかったのですが、やはり素通りはできなかったようです。神様の引っ張る力は半端ないですね。絶対に抵抗できないし、強烈です。お祈りし終わったら、宮司様から声をかけられご挨拶。何度も何度も足を運んでいるので、ここでは常連(^^)私が岡崎市在住だということも覚えてくださってるようで、私の知らない地元ネタを話してくださいました。とっても素敵な宮司様です。思いがけず、大好きな神社に寄らせていただくことになり、よかった よかったと、とってもいい気分で駐車場に戻った時、母からメール。メール見て2度目の「キャ~~~~~~!!(◎_◎;)」。「お弁当忘ちゃったね~」というメールだったのです。そういえば・・・お弁当が車に乗っていない・・・ガ~~~~ン(-_-;)メール来て初めて気づく。せっかく2時に起きてお弁当作ったのに・・・ショック~~。まっ でもたいしたことではないので、テンションが一瞬下がりましたが、それもほんの一瞬。次の瞬間にはスッカリ忘れて、高野山ルンルン♪♪♪って運転してました(笑)

今回は、高野山に行く前に、『慈尊院』を訪れることにしました。慈尊院の存在はずっと知っていたのですが、今まで行くことはありませんでした。しかし、今回は、どうしても行きたい!という強い想いが湧き上がってきていたので、行かせていただくことになりました。

《慈尊院の説明をウィキペディアから引用します。》

弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。

高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。

空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。(引用終了)

慈尊院で祈っていたら、心が苦しくなってきて、しばらく、空海と空海の母の想いと弥勒菩薩様のエネルギーを感じてました。ここで、その日3度目のドヒャ~~~~~(◎_◎;) でした。「うそでしょう~~!?マジで~~~!?ホントに!?」かなり慌てる(-_-;)「う~~ん、仕方ない・・・はい、歩いて登ります・・・」とひとりでぶつぶつ言いながら、覚悟を決めました。寺務所で時間をチェック。なんと、頂上までは片道7時間!と仰る。「ゲ~~~~~
(◎_◎;) 」です。今まで、高野山には歩いて登ったことは一度もなく、いつも車でした。その日も、歩いて登るつもりは100%なかったし、車で頂上まで行くつもりでした。実は、前日のことなのですが・・・旅の準備をするために、服をカバンに詰めている時、なぜか?登山用の服を入れていたのです。それを見ていた母が「あれ?また山登るの?」と聞いたので「ううん、今回は登らないよ。高野山だけしか行かないし、高野山は車で頂上まで行くから・・・」「じゃあ なんで山登りの服入れてるの?」「ん?わからん。なんか持っていったほうがいいような気がする・・・」という会話をしていました。山に登る予定のない時は、山の服装は持っていかないのですが、この時は、なぜかわからなかったけど、入れたのです。慈尊院に来て、その理由がわかりました(^^)持ってきてよかったです。ということで、予定完全に変更、この日高野山に歩いて登ることになったのです=*^-^*=♪

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