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むすひ

05« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.»07

昔の人達は全ての存在が『むすひ(霊産)』の力で産みだされると考えていました。「むすひ」で産み出された私たちがひとつに繋がり素晴らしい地球にしていくことができたらいいですね

 

熱田神宮・玉鉾神社・伊勢神宮参拝 (愛知県・三重県) 平成29年6月21日(水)  夏至 

Posted on  2017/06/07 Wed. 21:06   

日時  平成29年6月21日(水)  夏至



集合地・集合時間    熱田神宮  正門  6時



熱田神宮 名古屋市熱田区神宮一丁目一番一号  

境内案内



コース      熱田神宮(剣)➡玉鉾神社(玉)➡伊勢神宮 内宮 (鏡)➡瀧原宮➡多岐原神社➡多度大社 




参加費     10000円




定員       4名



夏至は陽のエネルギーが最高潮に達する日です。天の導きに従い企画をさせていただきました。熱田の大神の元で祈りを捧げたいと思います。


太陽の「真光」と「丹」と「芒種のエネルギー」とが、日輪太陽津(かい)において亢進状態に入る神姿を「三宝荒神」と言いますが、仏教では「三大虚空蔵菩薩」としてお祀りし、またこの日輪太陽津での天照皇大御神のお活動氣(はたらき)を『熱田の大神』 と呼んでいます。そして、この御祭りを「生産祭(しょうぶまつり)」(生腑祭)と定め置かれました。『熱田の大神』とは『不動明王』の姿でもあります。不動明王が手に持つ剣は、不戦の誓いを表す「民草和氣(くさなぎのつるぎ)」です。『不動』とは、人間の如何なる知恵・力をもってしても、動かす事の出来ぬ天地の理、則ち不動なり。』



玉鉾神社
熱田神宮(草薙剣)と伊勢神宮(八咫鏡)の間に創建してほしいという孝明天皇(121代)の御遺言に従い創建されました。政治権力は孝明天皇と陸仁親王を暗殺し、山口県熊毛の大室寅之助を明治天皇に擁立して明治時代になりました。孝明天皇の護衛の隊長である旭形亀太郎は、帝の(孝明天皇)の御遺勅に従い、大阪の財産を処分して帝をお祀りする届けを提出しても、権力者からなかなか許可が下りず、旭形亀太郎は当時の愛知県知事と一緒に京都綾部の大本教開祖である出口直にお伺いをたてたところ、「玉鉾神社」として祀るよう御指導いただき、愛知県知多郡武豊町六貫山に御祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)を表にし、鏡・玉・剣が一直線上に並ぶ地に孝明天皇を鎮座されました。




※熱田神宮はいつものセミナーのように全部は回りません。伊勢神宮も内宮のみの予定ですが、参加者さまの希望があれば時間が許す限り他の地に行く事も可能です。



※基本的なコースは変わりませんが、集合時間や解散時間は行くメンバーで調整致します。お申込時に集合可能時間と希望集合地(みゆき宅集合もOKです)・希望解散地などをお知らせください。伊勢自動車道➡東名阪自動車道➡伊勢湾岸自動車道➡新東名高速道路を通り愛知県岡崎市まで帰りますのでこの通り沿いの駅であればお送りすることも可能です。

※遠方の方はトランブレーみゆき宅に前泊オッケーですが、前日は帰宅が18時?ぐらいになりそうなので、駅(名鉄 本宿駅)までのお迎えは19時ぐらいになるかもしれません。



御縁ある方と一緒に時間を過ごせること楽しみにしています。





お申込

powerful_tremblay☆yahoo.co.jp  トランブレーみゆき

(☆を@に変えてください)




image1 (21)
玉鉾神社





image1 (22)
みろく天神社
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カテゴリ: セミナー

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富士山参拝セミナー (神奈川県・山梨県・静岡県) 平成29年7月30日(日) 

Posted on  2017/06/13 Tue. 13:22   
日時   平成29年7月30日(日)  





集合地 ・集合時間   愛知県岡崎市 トランブレーみゆき宅 午前4時集合(みゆき宅に前泊も可)。 または、神奈川県小田原駅 7時半にピックアップも可能です。





参拝ルート 

箱根神社➡芦ノ湖  九頭龍神社・白龍神社➡富士山本宮浅間大社➡冨知神社➡山宮浅間神社➡白糸の滝・音止の滝➡本栖湖





定員 4名






参加費  10000円






※九頭龍の森入口まで、ゆっくり歩いて30分。歩きやすい靴でお願いします。九頭龍の森への入園料500円は参加費に含まれます。




※集合地と解散希望地をお申込み時にお知らせください。岡崎市から現地に向かうルートの間で合流・解散ご希望の方は、その旨をお知らせください。可能な地であれば、途中でピックアップさせていただきます。(新東名または東名を通って現地に向かう予定です。)





※解散は富士宮駅 19時頃の予定です。愛知県岡崎市で解散の方は、岡崎市に21時半~22時頃となります。西日本の方で、みゆき宅に宿泊してから翌日ご帰宅希望の方は、どうぞお泊り下さい。翌日お好きな時間に最寄り駅までお送り致します。







冨知(ふくち)神社
ふちじんじゃ・ふぢじんじゃとも呼ばれ、紀元前288年に創建されたと言われています。征夷大将軍の坂上田村麻呂が浅間大神を山宮の地から現在の富士山本宮浅間大社の地に遷座する時、その地に先に在った冨知神社を現在の地に移したと伝えられています。冨知神社は、地主神である富士山そのものを祀る根本の神社であるということです。御祭神は「おおやまづみのみこと」とされていますが、後に記紀に合わせて変えられたようですね。







山宮浅間神社
山宮神社は、御神体を祀る本殿がなく生垣で囲まれただけの空間を神殿とし、神社の原初形態が残される神社です。とてもシンプルな場なのですが、非常にエネルギーの強い場で、冨士大神に繋がることができる素晴らしい地です。






お申し込み   トランブレーみゆきまでお願いします。

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御縁ある参加者様とご一緒できることを、心から楽しみにしています(^^)/








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厳島神社参拝セミナー (兵庫県・岡山県・広島県・愛媛県・香川県・徳島県) 平成29年9月1日(金)~4日(月) 

Posted on  2017/06/13 Tue. 13:42   
日時 
 Aコース・・・平成29年9月1日(金)~4日(月) 
 Bコース・・・平成29年9月2日(土)~3日(日)



集合地と集合時間  
Aコース・・・9月1日(金)トランブレーみゆき宅  午前2時集合 (みゆき宅に前泊・後泊可。宿泊費不要。) 
Bコース・・・9月2(土) 14時  宮島 鳥居前集合(海の中にある鳥居ではありません)




定員  
Aコース・・・4名   
Bコース・・・5名
             



参拝ルート 
Aコース

9月1日(金)
清荒神清澄寺(兵庫県)➡廣田神社(兵庫県)➡芦屋神社(兵庫県)➡六甲山  白山の宮(兵庫県)➡六甲比命神社(兵庫県)➡サムハラ神社 奥の宮(岡山県)➡石上布都魂神社(岡山県)➡たけべ八幡温泉泊(岡山県)


9月2日(土)
吉備津彦神社(岡山県)➡うら神社(岡山県)➡吉備津神社(岡山県)➡備中国総社宮(岡山県)➡平和記念公園   原爆ドーム・慰霊碑・広島平和記念資料館(広島県)➡宮島行きフェリー乗り場➡JRフェリーで宮島へ➡厳島神社(広島県)➡島内自由散策➡フォレストビラ水羽チェックイン➡夜はみんなで楽しくお話会\(^o^)/

9月3日(日)
午前中 宮島 弥山登山・参拝(広島県)➡大山積神社(愛媛県)➡石鎚神社(愛媛県)➡たからだの里 湯の谷荘(香川県)


9月4日(月)
金刀比羅宮(香川県)➡善通寺  弘法大師御誕生所(香川県)➡白人神社(徳島県)➡五社三門   磐境神明神社(徳島県)➡大麻比古神社(徳島県)➡諭鶴羽神社(兵庫県)➡自凝島(おのころじま)神社(兵庫県)➡伊弉諾神宮(兵庫県)➡石屋神社(兵庫県)




Bコース

9月2日(土)
厳島神社参拝➡島内自由散策➡フォレストビラ水羽チェックイン➡夜はみんなで楽しくお話会(^^♪

9月3日(日)
午前中 宮島 弥山登山・参拝➡正午解散








清荒神清澄寺
日ノ本の国に、太古よりお祀りしてきた「伊勢生成(いせいいなり)の神」が神武東征により消されてゆき、ついに伊勢の内宮までが放置されてしまった為、丹生家の意志(こころ)ある人々により、生命生産(うみだ)しの御神理氣を秘かに三津に分散させてお祀りしました。息津(おきつ)「日輪太陽津(かい)神」を高野山の奥に「立里荒神(たてりこうじん)」として、湍津(たぎつ)「宇宙産迂迦神(うちゅううがしん)」の丹生津の神を大神(おおみわ)の裏に「笠山荒神(かさやまこうじん)」としてお祀りされ、更に邊津(へつ)「産土之地球神(うぶすなのちきゅうしん)」を宝塚の中山に「清荒神(きよしこうじん)」としてお祀りし、「三宝荒神」とお呼びし、太古よりの神をお守りしてきました。





五社三門   磐境神明神社

天界より、生命の「聖地」である地球の嶋国・日ノ本の與謝津(かい)に、最初に植物の元生産親神(もとうみおやがみ)が御降臨・御降誕され地上を生成繁茂向上になり、次に動物の元生産親神が御降臨・御降誕、最後に人祖「初代」與謝身伊邪那岐尊と「初代」伊邪那身命が御降臨・御降誕。生命生産出(うみだ)しの神の総監である「天照皇大御神」を始めとする、生命生産出しの絶対五神の神理氣と、植物・動物の元生産親神を合祀され、八和幡之大神(やわたのおおかみ)とお呼びし祭祀されました。大丹生家(人祖家・天皇家)が、最初に神祀りをなさいました御姿であり、これをそのまま今日まで伝え残して居る神社が磐境神明神社です。五社三門の石積みの枠内は天界を示し、植物・動物・人間のホシ(遺伝子)が御降臨した天之意和戸(いわど)の姿を示しているそうです。
この神祀りは、人祖より「伊邪那岐家」1500代続き、その最後の嫡子「初代與謝身天照天皇」からは、人祖のお二方を八和幡之大神に加え九氣九神とし、その後七代目の「饒速日天皇」までの間、「生命生産出しの神」の「九氣九神・伊勢(いせい=雄蕊・雌蕊、雄・雌、男・女)生成(いなり=生命を産み出す)の神」をお祀りし、決して争わない・戦わない神の意の元に、和をもって政が行われ平和な世であったようです。






諭鶴羽神社
諭鶴羽修験道由緒 
①五大修験  「西天竺の霊神が第十代崇神天皇の御代に五つの剣を東に向かって投げられ『我が縁のある地に留まれ』と誓いたもうた。 
一は、紀伊国、熊野三山に
一は、下野国、日光山に
一は、出羽国、羽黒山に
一は、豊前国、彦山に
一は、淡路国、諭鶴羽山に
留まったと伝えられています。

②元熊野
熊野権現御垂迹縁起によると甲寅の年、唐の天台山の霊神が九州筑紫国、英彦山の峰にご降臨され、戌午の年、伊予国、石鎚の峰に渡られ、甲子の年、淡路国、諭鶴羽の峰に渡られた、後、庚午の年、熊野新宮、神蔵の峰に渡られた・・・と伝えられています。







六甲山  白山之宮
六甲山石宝殿の正面には「白山大権現」の額が掲げてあり、その奥の石祠が安置されています。左横に、六社大神・権大神・一水神大神・白山大神(大正三年)の石祠があります。ここを訪れる方々は多いのですが、そのまた奥にも沢山の神々が祀られていることには気づきにくいです。波動でキャッチされる方々は、石祠が見えなくてもわかっているのでしょうが。禁足地となっているのですが、神々の導きがありまして宮司様御夫妻により中に入らせていただきましたので、ここで皆さまにも知っていただけたらと思います。白山水天宮(水の神)・白菊姫の神・六甲稲荷権現・六甲山頂大権現・御嶽山大権現・六甲山石宝殿 白山之宮祭神・白山妙理大権現・八大龍王大神・龍王姫大権現・他多数の神々が祀られていらっしゃいます。祠は見えなくても、この六甲の地を沢山の神々が守ってくださっているので、意識を山・町全体に拡げ感謝の想いで祈っていただけたらと思います。









六甲について
六甲という名の解釈はいろいろありますが、六甲を元として六十干支を数えると、甲子(きのえね)から始まって癸亥(みずのとい)に至る六十進法の中に、甲子、甲戌、甲甲、甲午、甲辰、甲寅の六つの六甲が六十干支を代表して際限なく繰り返しながら、この地球・全ての命を見守り育んでいます。「六甲」という名がついているということは、六甲山では、過去・現在・未来という時の流れやエネルギーも神として、感謝の想いを祭祀として行ってきたのかもしれませんね。、六甲山麓にある農村部の古老が伝えていることのひとつに、一年に六回、甲子の日に、六甲山から湧き出る御神水を飲むものは必ず延命長寿するという伝承があります。

神功皇后が六甲山系に六つの甲を埋めたという説もあります。
「神功皇后」は神武権力が伊勢の神(八和幡之大神)をつぶし、「神武天皇」に都合の良い神祀りをしていることはご存知でした。皇后が、「仲哀(ちゅうあい)天皇」(第十四代)と共に三韓征伐に向かわれる道中、九州の地で御子をお宿しになり、新羅へ渡る船の中でその事にお氣付きになりました。今まで男性的で勢いのおありであった皇后が、一転して母性本能をお見せになり、この戦争は出来るだけ穏便に済ませようと相手方と相談され、和が成立してお帰りになりました。
この御子の命は、天皇と最後の和みをなさいました時に授かり、(帝はそのままお亡くなりになりました)我が君の残して下さいました宝であり生命をお与え下さいました「八和幡之大神(やわたのおおかみ)」のお陰と、九州の宇佐の地に八幡宮を御造営になり感謝の祈念をなさいました。今までの荒々しいご自身の言動があまりにも恥ずかしく、都へのお帰りの途中、甲山(かぶとやま)にご自身の甲冑(かっちゅう)や剣など埋け(い)けておしまいになりました。そして浪速(なにわ)に、「住吉大社」を伊勢の内宮に向けてお建てになり、生命を宿して下さる男神への感謝をなさいました。

こうして「八和幡之大神」を潰して来ました。「神武天皇」から十四代目の天皇の代で、やっとこの神を復興されましたが、またもや権力者がこの御神理氣を消してしまい「仲哀(ちゅうあい)天皇は九州でお隠れになっても、皇后には御子が授かった。これは正(まさ)しく神の化身である。」と言って誉田別尊(ほんだわけのみこと)<応神天皇>を神であるとし、その後、八幡神社には誉田別尊が神とてお祀りされました。


過去・現在・未来に繰り返されるこの「六甲」という時の流れ。過去生かしていただいたこと、今というこの瞬間を生かされていること、そしてこれからも生かしていただくという「時の神」に、そして「八和幡之大神」に、この六甲山で感謝の祈りを捧げるものいいかと思います。








白人神社
五社三門の下に建てられています。
北伊勢国の大安町石槫にあった大和族の三八子(みやこ)を徹底的に攻撃したことがあったようです。丹生家の人々は「大丹生天皇(おにゅすめらぎ)」を逃すために人垣を造りましたが、多くの方が討たれ、やっとの思いで天皇をお守りし、四国へ逃れました。一部の方々は出雲に逃れたようです。今も員弁(いなべ)には、その時無念の死を遂げた人々を葬った麻績塚(おみづか)が遺されています。四国へ逃れた方々は員弁を忌部(いんべ)と名前を替えて、白人(隠れ人)となり落人となられ、山の上に隠れ住みました。一方、松江に逃れた方々は、伊勢生成(いせいいなり)の神祀りをしていた為、神武派に見つかり、神殿は焼き払われ重刑に処せられてしまいました。
現在、四国の徳島県美馬郡穴吹町に「白人神社」がありますが、この辺りに七十五名の「丹生家」の方々がお住まいになり、他の方々は、麻を織る技術を持っておられ、麻植郡にお移りになり「大丹生家」の伝統を守り続けていらっしゃるそうです。この神社の秋祭りには、この「七十五名の宮人」の方々でなければお神輿は担げないそうでうです。又、お正月に行われます「御的(おまと)」という行事には、竹を割って的を作り、中央に鬼と書いて七十五本の矢を射るそうですが、「鬼」とは「大丹生家」を表わし、我らこそ正統天皇(すめらぎ)家の血筋であると、年の初めに改めて皆に知らせていたのかもしれません。









厳島神社( 以前書いていたブログ  2011年3月9日の記事から)


社殿を中心とする厳島神社と、前面の海、背後の弥山原始林の森林を含む区域が世界遺産と登録されたのは1996年のこと。ユネスコ協会が発行している冊子 「ユネスコ」2011年 1月号にこの厳島神社の記事が掲載されていたので この情報を皆さまとシェアしたく ここで御紹介したいと思います(ユネスコ協会の許可は得ています)厳島神社の禰宜を務める福田道憲さんに、生まれ育ったふるさと宮島と厳島神社への想いを伺うという形で書かれています(ライター 永山多恵子)
『自然とともにある建造物厳島神社の起こりは推古元年(593)だが、平安時代後期の1168年に、平清盛によって現在のような海上社殿が造営された。極楽浄土を模したといわれ、神殿造りの社殿にはさまざまな工夫が施されている。
宮島周辺では干満の差が4mほどあるのに、床の高さが3.8mしかないのは、その顕著な例だ。潮が引けば大鳥居まで歩いていけるが、潮が満ちると、社殿や回廊はあたかも海に浮かんでいるように見える。瀬戸内海を池に見立てたこのダイナミックな発想は、自然美と人工美を見事に融合させた。一方で、日々の潮による劣化はもちろんのこと、雨風による被害も後を絶たない。平成に入ってからでも、大きな台風に3回も見舞われた。
「自然が相手だから、頑丈に構えておったら壊れます。ここは、自然をやわらかく受け入れるようにできているんです。回廊の床は、海水の圧力を逃すために、すき間を空けてありますし、風や波が抜けるよう側壁もほとんどありません。神殿造りの庭に当たる平舞台(ひらぶたい)という場所は、ご本殿にまで波がいかないよう、波の力を弱めるいかだの構造を利用したといわれています。また、社殿は左右対称でなく、回廊の長さや角度がすべて違うんです。」
左右非対称にして形をいびつにすることによって、一方から強い風雨を受けても、ほかで支えられるのだという。柱が丸いのも、風や波の抵抗を逃すためだ。すべてが、自然とともにあることを念頭に置いた、先人の知恵の結実といえる』

ゴールのない駅伝ランナー

自然との調和を求めた設計を、900年もの長きにわたって支えてきたのは、こまやかな管理と修理にほかならない。とくに回廊を支える柱は海水に浸かるため、根元部分をひんぱんにすげ替えている。神社の象徴である海中の大鳥居も、現在は8代目だ。明治8年(1875)に建て替えた後、水に浸かる部分のみ昭和26年(1951)に取り替えたが、そろそろ主柱をまるごと建て替える時期にきているという。
「高さ16m、周囲10mもある主柱をつくるためには、樹齢500~600年のクスノキが必要となってきます。そんな巨木は、日本中探してもなかなか見つけることができません。」それならばと、宮島千年委員会という地元有志の組織が、島のクスノキの種から育てた実生の苗を植樹した。宮島ユネスコ協会も参加して、2003年から数回に分け、国有林の一角に約200本の苗を植えた。これから先、枯れたり、大きく育たなかったり、曲がったりする木は何本もあるだろう。その中で、、幸運にも陽光に恵まれ、まっすぐ育つクスノキがあったとしても、大鳥居の柱にするには少なくとも500年はかかる。
「宮島は内海で暖かいので、島にもクスノキはいっぱい生えています。けれど、鳥居に使えるような大木は、たいてい天然記念物となっており、伐ることができません。だから、、植樹をした。現在の鳥居の建て替えには、とうてい間に合いませんが、いつかは島の木で鳥居をつくりたいという思いは、皆同じなです。」(抜粋終了)

左右非対称にしていびつな形で造られているとは知りませんでした。自然との調和・・・本当に大切なことだと思います。
人々との調和もとても大切ですね。自分はたくさんの神々 そしてたくさんの人々との出逢いの中で この「調和」ということを学ぶ機会をたくさんいただいていますが、改めてそのことに感謝したいと思います。いろんな人がいるからいろんな意見・考えがあって当たり前ですよね。厳島神社の拝殿のように、自分も自然とともにあれるように そして 人々とも調和の元で生きられるように努力していきたいと思います。そして・・・この遺産みんなで大切に守っていきたいですね。






9月1日(金) Aコースの方の泊まる宿    たけべ八幡温泉  素泊まり   和室




9月2日(土)Aコース・Bコースの方の泊まる宿   フォレストヴィラ水羽


和室8畳+6畳+6畳 の一棟貸しです。


夕食は宿からすぐお近くの ZIZOにて5800円のコースでイタリアンのお食事をいただきます。お魚かお肉を選んでいただきますので、参加申込の際にどちらをご希望かお知らせください。翌朝は皆で一緒に🍙おにぎりを作っていただきます。(炊飯器は宿にあります)


宿にはお風呂もついていますが、時間に余裕のある方は集合時間前に温泉に寄るのもいいと思います。
宮島錦水館の潮湯温泉



おやつ?夜食?お酒?(⇦程よ良い飲み方でお願いしますm(__)m) など必要な方はご持参を(^^♪





弥山登山について
今回はロープウェイを使わず、登りは大元公園から登る大元コース、下りは大聖院コースを歩きます。休憩無しで2時間半のコースですが、倍ぐらいの時間をかけてゆ~~っくり歩きます。歩きやすい靴でいらして下さい。




登山時に必要ない荷物は宿で預かって下さいますので、登山時に必要な飲み物(それぞれで準備お願い致します。)と必要な物を入れる為のリュックなどをご用意ください。





宮島へのフェリーについて
フェリー乗り場には松大汽船とJRフェリーの2つの乗り場があります。
料金はどちらも180円(往復360円)で所要時間も約10分。ルートに関しては少し異なります。
JRフェリーは大鳥居に接近する航路で運航しますので、初めての方とか写真を撮りたいという希望のある方はこちらをおススメします。進行方向に向かって右側に見えますので、右側の席にいるといいですよ。松大汽船は、直進コースでフェリーが運航するので、宮島へは少しだけ早く到着します。行きはJR,、帰りは松大汽船というのもいいかも。





9月3日(日)  Aコースの方の泊まる宿   たからだの里 湯の谷荘  素泊まり  和室






Aコースの方・・・全ての日程が終了するのは、北淡路島 18時半ぐらいの予定です。東日本から参加で、愛知県岡崎市みゆき宅で一泊してからご帰宅希望の方は一緒に愛知県まで。(次の日最寄り駅までお送りします)その日にご帰宅希望の方は、愛知県に向かう途中であればご希望の駅で降ろす事可能です。まだどのルートで帰宅するかは決まっていません。参加者さまのご要望に従って帰宅ルート変更可能です。






参加費   Aコース・・・50000円 (参加費に含まれるもの ➡ 3日分の宿泊代・2日目の夕食代・広島平和記念資料館観覧料・ 3日目の朝食(おにぎり)・宮島へのフェリー代(往復)・宮島への入場料(初穂料)・全行程の交通費・セミナー代)

 Bコース・・・15000円 (参加費に含まれるもの➡9月2日(日)の宿泊代・夕食代・翌朝のおにぎり・宮島への入場料(初穂料)・セミナー代)






お申込されてからのキャンセルについて
数日前からは半額、当日は全額のお支払いをお願い致します。








縁ある参加者様と一緒に時間を過ごすことができること、心から楽しみにしています(^^)




お申し込み   トランブレーみゆきまでお願いします。

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諏訪について 

Posted on  2017/06/14 Wed. 19:33   
諏訪についての質問をたまにいただきます。以前載せたことと一部重複しますし、諏訪信仰・神事についてのほんの一部ではありますが、もう少し詳しいことを載せたいと思います。



諏訪についてとても詳しい田中基(もとい)氏が以前諏訪を案内してくださった時教えてくださったことや、諏訪市博物館研究紀要・シンポジウム(1993年3月)での田中氏の資料から抜粋させていただいたものです。



下社と上社の祭りの場の機能
 

 現在、諏訪の御柱祭の真っ最中でして、ちょうどこの山出しと里曳きの間の時間に、御柱ってどんな発想でもって始まった祭だろうと考えてみるのもいいんじゃないかと思います。 しかし、その本来の世界像というものは文献を探してみてもどうも判ってこない。 そこで諏訪大社の古い祭り場のあり方や、神を発動するやり方などから、御柱の神観念を導きだせたら、と思い試みることにします。




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これは、下社秋宮と春宮の図ですが、奥に、イチイの木や杉の神木があって、その前に宝殿がありますね。立春の日、旧1月1日にこの宝殿に納められていた神霊が春宮へ移動して、今は春宮に入っています。 これが御柱の里曳きの前には、新しく建てられた西の宝殿へ移ります。 これがまた立秋の日に行われるお舟祭りで、今度は秋宮へ神霊が移ります。 それで下社の神観念というのは、日本民俗学で言うように、冬、山に籠った祖霊が、春、里におりて来て、稲作なんかを手伝って、また秋になると山宮に帰る、春と秋の、里宮と山宮を循環する構造をもった神さんであると理解されています。 そういう下社の神さんの構造と上社の神観念の構造とはかなり違うと思いますので、まずはじめにそのことを申し上げようと思います。



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 上社本宮には硯石(スズリイシ)という水鏡のように水がたまる巨石がありますが、その巨石の方を向いて東・西の宝殿が建てられています。 ところが、室町時代以降だと思いますが、現在の本宮の拝殿はその方向から90度南側にずれた方向を向いて建てられている。 拝殿の方向と宝殿の方向が分裂しているわけです。 現在、、ほとんどの方は拝殿の方に向かって手を合わせられるので、拝殿を中心に今度建てられる御柱の順番をみると、右手前が4、左手前が本1、左後ろが本2、右後ろが本3となります。 ところがこの順番は、下社の秋宮や春宮、それに上社の前宮の御柱の配列といちじるしく異なっています。 秋宮などは拝殿からみて右手前が1、左手前が2、左後ろが3、右後ろが4と、時計廻りに1⇒2⇒3⇒4と建てられるわけです。 そこで上社本宮の御柱の配列は極めて特異であるという人がいますが、そういうことではないんですね。
 古い神祭りの場と思われる、巨石の硯石(中世には御座石という神篭石があったと記されていますが、いまはみつかりません)と、その手前に左、右に並んで建てられる新旧の宝殿を中心にして御柱の配列をみれば、右手前が本1、左手前が本2、左後ろが本3、右後ろが本4となり、秋宮などと同じ配列でやられているわけです。 このことから、御柱は拝殿が分裂した方向に建てられる以前から行われていたんだ、ということが判ります。 それでは新しく方向をかえて建てられた拝殿はいったい何を拝んでいたのか、という疑問がわいてくるわけですが、これにはいろいろの説がありますが、僕は宮坂清通氏の考え方をとります。
 拝殿の背後に幣殿があり、その後ろの中央に経文の納められたストゥーパ、つまり鉄塔があったわけですが、それを拝んでいたと同時に、その背後の方角には神宮寺の普賢堂があり、中には普賢菩薩像が安置されていたわけですね。 この仏像を拝んでいたということになります。 いわゆる「天正の古絵図」をみますと、たしかに拝殿の方角に神宮時の普賢堂が大きく描かれています。 いわゆる神仏習合の時代に、上社では神観念が一大転換して、制度的に仏体を拝む方角に拝殿が新しく向きを変えたと考えられます。 ちなみに当時の生き神、大祝(オオホウリ)は普賢菩薩の生まれ変わりだという思想に支配されています。 



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次に上社のもう一つの神社である前宮ですが、ここには皆さんお気づきのことと思いますが、下社の秋宮や春宮、そして上社の本宮に建てられている宝殿は建てられていません。 これにあたるものを強いて探せば、あの十間廊(ジッケンロウ)の側にある「内御玉殿(ウチミタマデン)」ですけれど、下社の秋宮・春宮、そして上社の本宮のそれのように御柱年ごとに東・西どちらかの宝殿が新しく建てられて、そこに神霊が移動するというような性格のものではないわけです。 この建物の性格を端的にいえば、生き神様である大祝の生きみ魂、ないしは祖霊を祀る場所であって、その中に納められていた神宝もそのような性格をもつものだったのです。 内御玉殿の西側に広い平地がありますが、、そこは中世には生き神大祝の住んでいた神殿(ゴウドノ)の諸施設がたちならんでいたわけで、その東側の尖端に内御玉殿が大祝の祖霊を祀る施設として機能していたわけです。 現在のようにポツンと内御玉殿が残った状態では当時の光景を想い起こすのは難しいわけですが。 だから前宮は、他の三社と異なって四本御柱を立てるのみで、宝殿はない。 そして、現在という前宮という呼び名は、中世は神原(ゴウバラ)と呼んでおります。 つまり生き神である大祝の住んでいる神殿があるところ、という点が強調されているんです。 当時は大祝が即位したあと地主神の十三社というのを巡って即位のアイサツをしているわけですけれど、その二番目に参る神社に前宮と記されていまして、現在のように一帯を総称して前宮というのでなく、十三社の一つとして前宮の名があったわけです。 地元では前宮とうのは、本宮以前からあった社というふうに時間的に理解されているようですが、僕はタケミナカタやその妃の御陵だと伝承されているところの前をいつきまつっている神社である、という意味で空間的に理解しています。 だから 正確には前宮というのは、現在の神域の一番上にあるやしろの地域にだけ限定して考えた方がいい。 やはりこの神域一帯の呼び名としては、その性格からして「神原」、つまり生き神・大祝がすんでいる神殿のある地域、と中世風に呼んだ方がいいと思います。 そう考えてきますと、下社の秋宮・春宮のように一年を双分して循環的に神霊が行き来する対偶的、双分的な社と、上社の本宮・前宮は性格が異なります。 本宮・前宮は双分的な、対偶的な神社ではない。 本宮は古くは岩坐を中心にして宝殿を左右にまつる社で、前宮は社というよりも生き神・大祝がすんでいる処です。 つまり性質が異なる二つの場であるわけです。 




神原の地下穴と蛇体
 

現在、内御玉殿の上に御室(ミムロ)社跡がありますが、これが中世に地下竪穴で神事を行った御室のあったところです。中世の祝詞によりますと旧暦の12月22日に諏訪湖の方から出てきた有賀(アルガ)を通って、真志野(マジノ)を通って前宮の入口の所末(トコロマツ)社に来るソソウ神という原始的な精霊がいます。それはカヤで作ったヘビですが、それが三体、御室の竪穴の中(図13)に冬のさなかにこもる。その時大祝(オオホウリ)、神長も一緒にこもってあくる年の三月卯の日、現在の四月にその大地の穴から出るわけです。その御室の構造というのは、竪穴の中に萩の枝で組んだ座を設け、五丈五尺のソソウ神というヘビが三体右から入って、左からは御笹のミシャグヂという原始的な精霊が入ります。大祝・神長も入るわけですからかなり大きな座というか構造物だと思います。春になってその冬ごもりの竪穴から出てきて十間廊で酉の祭りが行われるわけですけれど、それが現在、形は変わっていますが続けられています。



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祭りで中央にあるのは御杖柱(ミツエバシラ)で、そのうしろに鹿皮が敷いてありまして、昔は大祝が着座していましたが、今は宮司が座られています。また御杖柱は昔、神長官が担いだのですが今は若い神官が担いでいます。御杖柱というのは、現在は桧の柱に柳とコブシ、カシワの葉、ジシャをつけ、矢を二本刺し、下に五色の布をさげています(図14)。



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これは江戸時代に菅江真澄さんが酉の祭を見て描いた絵には「御贄柱(オニエバシラ)」とありますが、植物等は同じです。しかし中世の御杖柱は違ったようで、種類は判りませんが山の木々に氏人の髪の毛をくくりつけ束ねて、御杖柱にすると書かれています。この御杖柱の世界像を探る上でも重要な鍵をにぎっていると思います。



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先ほど御室の地下室の中にカヤでできた五丈五尺のソソウ神というヘビがいると申し上げましたが、それが冬中こもっているんですが、大地が芽吹く春になってその御室は壊される。しかしその中にいた蛇の行方はよくわからないんです。一緒にこもっていたミシャグヂは前宮に持っていかれるんですがね。その後、酉の祭で十間廊の殿上で盛大な春の神事がくりひろげられるわけですが、先ほどみられたように一番重要な神体として御杖柱が出現しているわけです。冬中地下室で一番重要だったソソウ神のヘビが、今度は御杖柱にかわっているわけですね。僕はこの転換を、大地の水脈であるヘビのソソウ神が諏訪湖の方からやって来て地下室の御室にこもり、春になってその大地の水が樹液となって上昇して御杖柱に化生したんじゃないかととらえています。

「御杖柱」は「ミズメ柱」とも言っておりまして、「ミズメ」は梓の木のことで、本来はヒノキでなく梓でやっていたんではないかと、伊藤富雄氏は推定されています。そして現在、前宮には「水眼」と書いて「スイガ」の流れという温泉の水流があって、音で読めば「スイガン」ですが、訓で読んだら「ミズメ」なんですね。<その後、藤森明氏より、茅野市安国寺地区蔵の古絵図に前宮の水眼の流れを、「水目」と記したものがあると教わった。ミズメであろうか。>
これがいかにも蛇体をほうふつとさせるように前宮の傾斜面を曲がりくねって流れています。そういうわけでミズメ柱とは水霊の柱を意味したんではないか、蛇体が上昇して生命の樹に変貌したんではないかと思います。諏訪の古い正月である酉の祭に大地の春の新年の木として、このミズメ柱が登場する様を想像しております。



大地と水脈の季節的循環

「ソソウ」神とか地下の御室を重視するように、諏訪には大地の穴に対する古い発想法が祭りの中にずいぶんあるんですね。特に現在でも12月31日トラの刻に葛井(クスイ)の池に、旧年中に使った祭祀の用具をまとめて沈めますね。中世ではその時、御室の方から新年の火をおこして葛井の方に合図を送っているわけです。その火を見て池の中に投げ込むと、伝承によれば浜松のサナギの池に浮かび上がると言われています。地下を通って太平洋側に流れていくわけですね。またその数時間後の1月1日の早朝、蛙狩り神事というのが行われています。御存知のように御手洗川にこもっている山赤蛙をつかまえて生贄にするんです。『画詞(えことば)』には、暴れるガマ神がいて、それが竜宮と現世の間をふさいでいる。そのカエルを押さえつけて鎮める、というような話があります。つまり、地下他界なり竜宮との境目を塞ぐカエルを正月1日やっつけて地底の竜宮との通路を開ける、というような発想があったようです。また有名な甲賀三郎物語も大地の穴を意図的に問題にし、そして蛇体を問題にしている。甲賀三郎が姫を追って人穴に落ちて、地底をめぐってヘビになって、また上昇して諏訪の明神になる話ですが、その説話の中に梶の葉の直垂(ヒタタレ)というのが出てきて、また、ナキガマというのが出てきて、管の行騰(ムカバカ)、これは、大祝が御射山神事に行くときにつける正装なんですが、これらはヘビやムカデに襲われた時にこういうものを出せばいい、といものなんですね。こうみてくると甲賀三郎の地底の行動や、蛇体になり、そして上昇して諏訪明神になるのは、ほぼ大蛇の行動とダブルイメージされていて、その際重要なのは、地底での行動なわけです。葛井はおそらく九頭井で龍に関係した底無し沼でしょう。またガマが塞いでいる竜宮へ通じる大地の穴とか、甲賀三郎が遍歴する地底の穴というふうに大地の中を縦横無尽に迷路状につないでいる穴と、その中に動く大地の水脈である龍、ないしは蛇体を意図的にとりあげているんです。こういうまなざしというのは、萩原さんの提起しておられる地下他界や、龍水という大地の水脈とその季節的循環に対する人間の洞察と畏敬に根差していると思われます。
先ほど下社の話に出たように一年を双分して春と秋、地上を循環する神さんというんじゃなくて、上社の神は冬は地下に蛇体となってひそみ、春になると生命樹に化生して地下から湧き出たり、大祝が春が終わったあと御立御狩、御作田御狩、御射山祭、そして秋庵祭というように四度八ヶ岳山麓に行ってススキの穂屋にこもりますね。大祝が移動するたびにこもる所は「神殿」とはっきり記されています。つまり大祝の移動によって焦点が移動している。
よく、諏訪大社には、拝殿はあるが神殿はない、それは大和の三輪神社が拝殿だけあって、神体は三輪山を拝しているように、背後の守屋山を神体山として拝んでいる古い形式の神社であるからだ、と言われております。これを俗説としてしりぞけたのは八代国治という人です。左右に配されている宝殿こそ、神社の神殿にあたるものだというのです。そのとおりだと思います。あの宝殿は普通の神社とは異なってみえますが、例えば伊勢神宮の本殿と同じように、何年目かごとに新しい神殿が建てかえられて、そこに神霊が移って蘇生するという意味での神殿の形式だと思われるからです。だが、拝殿が分裂した方向に造られたあとは、もう一つ考えないといけない。先ほどいいましたように、拝殿の背後の幣殿うしろには多宝塔、つまり経文の納められたストゥーパがあり、それを拝んでいたわけですから、これも神殿にあたるものです。そしてその背後には神宮寺の普賢堂があり、普賢菩薩が鎮座しているという構成をとっていた。いわゆる神仏習合時代にはこういうふうに二重に考えた方がいいのではないか。

ところがここにもう一つおもしろい問題が浮かび上がってきた。それは幼童の神さんを焦点として拝する建物、つまり神殿が、いっぱいあったということです。常設の神殿とは別個に、冬ごもりの竪穴である御室も神殿であり、春、地下から出てきて盛大祭りをやる十間廊も神殿で、八ヶ岳山麓の御射山につくられる穂屋も神殿であり、円形の秋庵も神殿なんですね。これはどういうことかというと、神体である大祝が季節祭式で移動するたびごとに、その場が神殿になる。こういう季節ごとに大祝と共に移動する神殿というのは古い形式だと思われます。それは冬の地下竪穴に蛇と一緒に、そして、春、出てきて御杖柱と一緒に、夏に八ヶ岳山麓にこもってやはり蛇を意味するススキと共に、というふうに極めてダイナミックに移動している。この移動を季節と空間を一緒に追って考えていくと、それが大地の水脈の循環をなしている。この一年間の円環移動全体を考えますと、大祝がドラゴンないしはミヅチであるといういわれがよく判るのではないかと思います。中国流にいいますと春分に天にのぼり、秋分に淵に潜るという龍水の循環を、諏訪湖畔と八ヶ岳山麓の一大地形をとりかこんでうまく表現していると思います。


山ノ神と蛇口の交合による御柱の発動
中世においては酉の祭の時は三本の御杖柱に鉄鐸をつけて三県(アガタ)(内・外・大県)の湛(タタエ)巡りをしました。この「タタエ」は柳田・折口両氏によると、「タタル」という言葉からきていて、それは神が示現する様をあらわす言葉で、神が木の梢を通じておりてくるという観念をあらわしていると言って、垂直的な降臨を強調しております。しかし、もっと素直に考えて「湛の樹」は、その漢字の示すごとく、地下水をたたえている樹と見たらどうか。龍樹と考えたらどうか。この湛は、樹の下でミシャグヂ降ろしをするわけですけれど、ミシャグヂは「ミシャグヂ上げ、ミシャグヂ下げ」という言葉があるとおり垂直に運動する神さんです。だからこの地下水をたたえた湛樹に天空からミシャグヂを上げたり下げたりして神むすびをする、という考え方が一つあったんじゃないかと思います。さっき御室の中に水脈をあらわすヘビがいると申しましたが、その横に御笹のミシャグヂというのがあって、そのササを通じてミシャグヂをおろして、この蛇体につけなければ神事が始まらない。そこでこちらとそちらの神さんを神むすび、つまり交合させないと神霊が発動しないという考え方があって、この「タタエ」もですね、地下水をたたえた樹と、天空からおろしたミシャグヂに性的交わりをさせて神的威力を発揮させたんだと思います。このように陽極と陰極を結びつけて神霊が発動するという方式を御柱の中で探していくと、メド穴に藤蔓でもって男綱、女綱をそれぞれ結びつける、そして男綱には山ノ神、女綱には蛇口という精霊が綱渡りをしてのりうつる。ヘビと山ノ神がセックスしているという構図が藤蔓の縄であらわされていると思います(図16)。それはさっき言った御室の中で、ミシャグヂとソソウ神が交わっているという構図と同じなわけですね。御柱の山出しのいちばん初めに御綱渡りという儀式がありますが、この中の木遣りの唄の中に、「山ノ神様御乗立で 御双方御手打綱渡りエー」また、「男綱女綱の綱渡りエー、御双方様健固を祈りますエー」というのがあります。この御双方様というのが男綱と女綱にのりうつった山ノ神と蛇口を示すもので、御手打というのがそのまぐわいをあらわすんではないかと思います。山ノ神は、そういうふうに臨時に降りてきて、その神霊を発動するもんで、例えば、山ノ神は山出しが終わって安国寺の御柱屋敷に到着すると山ノ神返しをする。一度、山の方に帰っている。そしてまた里曳きの時には、今度は山ノ神は御柱街道を通らずに特別の道を通ってお舟にのっておりてくる。そして御柱と合体して先導していた。そういう威力ある神霊だったんです。現在は、お舟は本宮を出発して御柱を迎えるようになっていて、これは諏訪大社の神さんが御柱をお迎えにいくんだといわれていますが、これは新しいやり方で本来のものではなかった。ちなみに一の柱の長さ五丈五尺は、御室の地下穴にこもったヘビの長さと同じなんです。このように、山ノ神は水の霊と神むすびする神で、御柱を通じて、山ノ神と水の霊であるヘビの交わるパワーあふれた柱を、八ヶ岳から諏訪湖畔、祭り場までうちおろして、その場を再生させたんだと思われます。このような大地の水脈の季節的循環と植物の生育する力に対するトータルな視線というものが、再び現代に要請されざるをえなくなった歴史のパラドックスを思いますと、諏訪のドラゴンというものは、身をぼろぼろにしてもいつか息を吹き返すでしょうか。




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諏訪前宮の裏山にて









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