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むすひ

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昔の人達は全ての存在が『むすひ(霊産)』の力で産みだされると考えていました。「むすひ」で産み出された私たちがひとつに繋がり素晴らしい地球にしていくことができたらいいですね

 

4月14日~の旅  その2 (高野山 丹生官省府神社) 

Posted on  2013/04/24 Wed. 15:01   
まさか まさかの展開Σ( ̄ロ ̄lll)突然高野山に歩いて登ることになるとは想像もしませんでした。私の旅は、ほぼ毎回何か予測もしなかったことが起こるので、慣れてはきましたが、それでもいきなりこういう展開になると、やはり驚きます。歩きと決まったら、ぐずぐずしてる時間はない。水を買いに行き、再度 慈尊院に戻り駐車場に車を停めて、登山用の服に着替えて、登山靴に履き替えて、リュックを背負って、準備完了(^^)慈尊院からのスタートです。まずは、慈尊院から119段の石段を登ったところにあり、世界遺産である丹生官省府神社(にうかんしょうぶじんじゃ)に立ち寄ることに。

《以下 丹生官省府神社のパンフレットから引用》

御由緒  当神社の草創は古く弘仁七年(八十六)弘法大師(空海)によって創建されました。
空海(弘法大師)は、真言密教修法の道場の根本地を求めて東寺(京都)を出立ち各地を行脚され途中大和国宇智郡に入られた時、一人の気高い猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。此の処は天下無双の霊地であり、空海は此の処を教えて下さった猟師は神さま(地主神)が姿を現し、化現狩場明神(けげんかりばみょうじん)となり神託として一山(高野山)を与えて下さったものであると、想念の内に感得されたのでした。その事を嵯峨天皇に上奏し天皇は深く感銘され、高野山を空海に下賜されたのでした。狩場明神尊い導きにより開山するすることができた高野山の金剛峰寺。空海はその思いを政所として慈尊院を開いた時、参道中央上壇に丹生高野明神神社を創建奉祀(現丹生官省府神社)され、諸天善神への祈願地としてこの地を天と神に通じる地、即ち神通寺(じんつうじ)の壇とし、慈氏寺(じしじ)の壇と併せて萬年山慈尊院と称されたのでした。弘法大師によって創建鎮座爾来御社号も丹生高野明神、丹生七社大明神、丹生神社、丹生官省府神社と変遷し、県内外を問わず尊崇を受け官省府荘(荘園)の総社(総氏神)として栄えました。紀伊名所図絵(天保年間)では、数多くの御社殿等が立並び荘厳を極めていましたが明治維新後、神仏判然令(神仏分離令)等により多くの建物は取り除かれ、天文十年(一五四一=室町時代)に再建さた本殿三棟(国指定重要文化財)が往年の姿をとどめています  (引用終了)

丹生官省府神社に到着したら、人がたくさん集まっていてなんだかお祭りのような様子。本殿前に行こうと思ったのですが、今にも式が始まりそうな感じで・・・ちょっと遠慮して後ろに立ってました。すると、横から案内の方がいらして「どうぞ前に行ってお祈りしてください」と前に導いてくださいました。「え!?いいんですか?式が始まりそうですが・・・」「いえ、大丈夫です。どうぞ」と仰る。ということで、勧められるままお賽銭箱の前ド真ん中に立たされることになってしまいました。本殿の中にいらっしゃる方は、左右両側に向かい合って座っており、その方々の全員の視線が私の方に向けられたと思ったその瞬間、全員御低頭いきなり祝詞が始まってしまい、そのまま私も動けなくなってしまいました。その日4度目のサプライズ(◎_◎) 本殿中にいらっしゃる方も外の私の後ろにいらっしゃる方も皆頭を下げて静かにしているので、流れに従って一緒に祈るしかなく・・・そのまま、祝詞は続き、お祓いまで一緒にしていただいてしまって・・・なんだかよくわからないけど、お祭りに飛び入り参加で、タイミングよく?ド真ん中に立たされてしまい、祈ることになったのも偶然ではなかったのか?と不思議な気持ちでした。やはり、空海の御縁なのでしょうかね~?=*^-^*=♪

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